フライフィッシャーの原点#2
2015年 08月 29日
就職しさらなる田舎に転居した私は、移動手段もなく、実家に帰った時に釣りに行く程度となり、先輩に誘われるままスキーに興じていました。
「車が欲しい」と思った私は、職場に出入りする自動車修理屋さんにレオーネエステードバンを注文した時に転機が訪れました。自動車屋さんがなぜレオーネを買うのかと聞くので「スキーや渓流釣りをしたい特にルアーやフライで」と告げると偶然にも「最近レオーネを買うお客さんは同じことを言う。」そして私で4人目とのこと。さらにそのお客さんはフライのクラブ(名前はカゲロウクラブ)を作り会員を募集中とのことで、早速連絡を取り、入会の運びとなりました。
ワッペンを大切に保管していたつもりなのですが見当たらずイメージです。
10名ほどのクラブは、私もふくめ、まだまだ、ルアーと併用メンバーがいましたが、30年ほど前にオービスのセブンイレブンを8万円ほどで買う強者や、すでにタイイングについて熱く語る強者もいました。
触発された私は、「Outodoor」に載っていたミスタートラウトにタイイング用品を買いに行き現ワチェットのオーナーの鈴木さんにロイヤルコーチンマンとライトケヒルを教えてもらうのでした。
クラブでは定例会で秋神、小鳥、笹生、12月の飛騨川のシラメ(当時は禁漁の対象ではありませんでした)などを行い、反省会などの予定を立て、会員同士の交流など、フライを始めたばかりの私には、本では分からないことを吸収するのでした。この頃は、5Xのテーパーリーダーに直付けで釣れた良い時代でした。しかし、楽しいのもつかの間、1年もしないうちに名古屋に転勤となり、携帯もない時代なので自然消滅。トホホホ・・・
再び「釣れないフライフィッシャーの苦悩」に陥るのでした。