多趣味で小遣いの少ない中、工夫しながらフライフィシングなどを楽しむ様子を書いていきます。


by BPE-3000R-SI

カテゴリ:フライフィッシャーへの原点( 2 )

 フライの道具を購入したものの凡人の私はここから「釣れないフライフィッシャーの苦悩」に陥るのでした。
 就職しさらなる田舎に転居した私は、移動手段もなく、実家に帰った時に釣りに行く程度となり、先輩に誘われるままスキーに興じていました。
 「車が欲しい」と思った私は、職場に出入りする自動車修理屋さんにレオーネエステードバンを注文した時に転機が訪れました。自動車屋さんがなぜレオーネを買うのかと聞くので「スキーや渓流釣りをしたい特にルアーやフライで」と告げると偶然にも「最近レオーネを買うお客さんは同じことを言う。」そして私で4人目とのこと。さらにそのお客さんはフライのクラブ(名前はカゲロウクラブ)を作り会員を募集中とのことで、早速連絡を取り、入会の運びとなりました。
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 ワッペンを大切に保管していたつもりなのですが見当たらずイメージです。
 10名ほどのクラブは、私もふくめ、まだまだ、ルアーと併用メンバーがいましたが、30年ほど前にオービスのセブンイレブンを8万円ほどで買う強者や、すでにタイイングについて熱く語る強者もいました。
 触発された私は、「Outodoor」に載っていたミスタートラウトにタイイング用品を買いに行き現ワチェットのオーナーの鈴木さんにロイヤルコーチンマンとライトケヒルを教えてもらうのでした。
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 クラブでは定例会で秋神、小鳥、笹生、12月の飛騨川のシラメ(当時は禁漁の対象ではありませんでした)などを行い、反省会などの予定を立て、会員同士の交流など、フライを始めたばかりの私には、本では分からないことを吸収するのでした。この頃は、5Xのテーパーリーダーに直付けで釣れた良い時代でした。しかし、楽しいのもつかの間、1年もしないうちに名古屋に転勤となり、携帯もない時代なので自然消滅。トホホホ・・・
 再び「釣れないフライフィッシャーの苦悩」に陥るのでした。
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by BPE-3000R-SI | 2015-08-29 21:34 | フライフィッシャーへの原点 | Comments(0)
 小さい頃から父親について海、川に釣りを楽しみ、渓流好きの叔父にも渓流釣りに連れて行ってもらっていました。特に高校生の頃、ルアーに夢中で夏休みになると毎日ナマズのイブニングライズを楽しんでいました。当時はルアーもラパラのミノーが1500円位でお小遣いが3,000円の高校生には相当高価なものでした。そのためにアルバイトをしていました。ちなみにスガキヤのラーメンが140円(今は290円)の頃でした。
 その頃は田舎の釣り道具屋でもらうダイワ、オリンピックのカタログの隅に載っているフライフィッシングの道具に大いに興味をそそられるのでしたが全く未知のものでただただ想像するばかりでした。
 フィッシング別冊のルアー、フライ特集が発売され読み、フライフィッシングを何となく理解したつもりでしたがまだまだルアーから離れられない状況でした。
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そんなとき、ダグ・スイッシャーが表紙の「Outodoor」に出会いアメリカでのフライフィッシングの様子がとても楽しそうに感じられたものでした。また付録のダグ・スイッシャーのキャスティングを見て「カッコイーー」と憧れるのでした。
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 ということで、高校生の私は、小遣いを貯め、無謀にもフェンウィックの#6のパックロッドのブランク、シェークスピアのライン、コータックのリールを購入するのでした。
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by BPE-3000R-SI | 2011-08-13 22:06 | フライフィッシャーへの原点 | Comments(0)